固有の言語が消える時、文化は? 民族の存在意義は?
監督:監督:ダルジャン・オミルバエフ
制作:カザフスタン
第34回東京国際映画祭コンペティション部門 最優秀監督賞受賞
公式サイト:https://2021.tiff-jp.net/ja/lineup/film/3401CMP13
【ストーリー】
ディダルはカザフ語の詩人だが、詩はカネにならない。妻と二人の暮らしのために、小さな新聞社に勤めている。見かねた友人から、富豪を称える詩を作る仕事を紹介され、彼も一旦は引き受ける。しかし心にもない詩を書くことへの抵抗感が拭えない。カザフ語での詩作にこだわるディダルは、権力になびかず処刑された19世紀半ばの詩人マハンベトの苦悩と覚悟に思いを馳せる。そんな時、地方で自作の詩を朗読する会に招かれる。しかし観客はたった一人だった。
【みどころ】
人気がないもの・儲からないものは葬り去っていいのか? 自国民が自国の歴史や文化を知らずにいていいのか? 多くの示唆に富んだ秀作である。
カザフスタンではカザフ語が公用語とされているが、実生活ではロシア語の方が多く話されるという。グローバリズム社会の中で、言語は「通じる共通語」であることが優先され、民族固有の言語の歴史や美しさは二の次になっている。ロシア語で作る詩とカザフ語で作る詩。その違いを肌で感じている人間がどれほどいるか。
冒頭の場面、「フランスほどの文化大国でも、今や論文は英語で書くらしい。まして人口千五百万ほどのカザフスタン。このままだと、カザフ語を話す人間はいなくなる!」というセリフが心に刺さる。翻って、それは日本語にも関わる重大な視点ではないだろうか。日本人は一億人いるから大丈夫、と言っていられない。
【初出:Wife398号 2022年2月、加筆の上公開 文/仲野マリ】
この記事へのコメントはありません。