なぜユダヤの男児は教皇に連れ去られたのか?
監督:マルコ・ベロッキオ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
公開:2024年4月26日よりEBISU GARDEN CINEMA他にてロードショー
公式サイト:https://mortara-movie.com
2023年カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品
【ストーリー】
1858年のとある夜、イタリア・ボローニャのユダヤ人居住区に住む裕福な商人モルターラの家に、異端審問の役人がやってくる。「この家の息子の一人エドガルドは、カトリックの洗礼を受けている。洗礼を受けたものはカトリック教徒の手で育てなければならない」モルターラ夫妻が、絶対にそんなはずはないと抵抗しても聞き入れられず、エドガルドはその日のうちにカトリックの修道院に移されてしまう。敬虔なユダヤ教徒として息子たちを育ててきた母親は半狂乱となり、父親は「まだ7歳にもならない子どもを母親から離すことは許されない」と様々なルートで訴えを起こす。しかし、教皇をはじめカトリック陣営は堅く門を閉ざし、エドガルドは修道院の中でカトリック教徒として育てられた。折しも、イタリアの政情は、都市国家の林立から統一国家へと大きく動いた時期である。が、教皇領が統一されるまでには1870年を待たねばならない。エドガルドを取り戻そうと統一運動に加担し、ようやく教皇領が倒れた時、乗り込んできた父と兄は、カトリック信者として成人したエドガルドと対面することとなる。
【みどころ】
イタリアのボローニャで実際に起こった男児の拉致事件を描いている。当時ボローニャは教皇領。その上、ユダヤ人はゲットーの中に住んでいる。シェイクスピアの「ヴェニスの商人」の時代に比べればゲットー内の状況は改善されているとはいえ、異教徒は二級市民であることに変わりはない。
異端審問官によって連れ去られた我が子を、両親は必死に取り返そうとするが、教皇の力は絶大だ。その中でエドガルドはどのように成人したか。必死で環境に順応するエドガルド。大人たちの「正義」に引き裂かれる中でアイデンティティを探し求めるエドガルド。カトリックの殿堂で養育されたエドガルドが、長い年月を経て母親に会ったとき、その「愛」のかたちがあまりにも切ない。
これまで、こうした「ユダヤ教徒をめぐる迫害の物語」を見るとき、ユダヤ人は常に被害者であった。しかし、現在のガザ地区へのパレスチナ人の囲い込み及び容赦のない爆撃を目の当たりにする今、正直、複雑な思いが生じる。都合の良い時しかゲットーから出してもらえず、訴えても通らず、何かあればゲットーが封鎖され、食べ物も不足した辛い歴史を持ちながら、なぜイスラエルは同じことを、今度は加害者として行うのか。
キリスト教であれユダヤ教であれイスラム教であれ、1コミュニティ=1宗教という社会の恐ろしさを感じる。
この記事へのコメントはありません。