文学少女が自ら陥った“高尚”なる性の罠
監督:ヴァネッサ・フィロ
原作:ヴァネッサ・スプリンゴラ
配給:クロックワークス
公開:2024年8月2日(金)よりシネマート新宿ほか全国にて公開(R15)
公式サイト:https://klockworx.com/movies/consent/
【ストーリー】
13歳のヴァネッサ(キム・イジュラン)は文学少女。母親が友人らと繰り広げる文学談義に同席し、初老の作家ガブリエル・マツネフ(ジャン=ポール・ルーヴ)と初めて出会う。その日以来、自宅には毎日のようにマツネフから情熱的な恋文が届き、ヴァネッサは戸惑いつつも、大作家に惹かれていく。だが彼は手練れの小児性愛者だった。彼はヴァネッサの「同意」を取り付けながら、巧みに性的関係を迫る。
【みどころ】
性的同意は、セクシュアル・ハラスメントや性的暴行の有無を判定する上で、非常に大きな意味を持つ。
しかし、その”同意”は、本当に自発的に生まれたものなのか。それが未成年であった場合は特に、これから起こること、起こりうることを推測したり、想像したりする力が誰でも十分に育っているとは言えない。だから、小児性愛や幼児虐待は重い罪となる。
しかし、どこからが「小児性愛」なのか、そのボーダーは難しい。これが小学生ならば幼児虐待だ。が、中学生は恋をする。年上男性に憧れるのもよくあること。自分の可能性を認め、引き上げてくれるような教養人であれば尚更だ。性体験への好奇心もある。お互いの同意があった時、「○歳から」のボーダーは、時に恋愛の自由を奪う。
しかし、一見「個人の自由」や「自主性」を尊重したように見える「同意」という手続きが、彼/彼女を守る盾ではなく、周囲からの救いの手を断ち切る落とし穴となる。ヴァネッサの親は男の欺瞞に警鐘を鳴らすも、「もう大人だ」とうそぶく娘を前に自主性を頭から否定できない。この映画は、その危うさ・残酷さ・狡猾さを描き切った実話なのだ。
ガブリエルが無垢な少女を洗脳し、「女神」と崇めたり「がっかりだ」と無視したり、狡猾に不安を煽って支配する。
確信犯なのだ。どうすれば、子どもらが自分のなびくのか、自ら自分を求めてくるのかを知っている。それは「愛」ではなく「支配」である。「搾取」なのだ。
しかし、10代の少女がそのことに気づくのは、大きな代償を払ったあとである。再起にもがく少女の青春が痛々しい。
「親が体を張ってでも守るべきだった」と言うのは簡単だ。しかし、早熟で賢明な人間ほど親の価値観と決別しようとする年齢は低い。
原作者は才能に恵まれ、年月を経て自らの痛手を文学作品に昇華することができた。自分の愚かさを言語化することもできた。でも、多くの人々は、ただ傷つき、打ちのめされ、時には人生を棒に振る。
こうした映画や小説が一人でも多くの少年少女に届き、あるいはその親たちに子どもを説得する言葉を持たせ、ガブリエルのような大人の毒牙を見抜き遠ざける術をなってほしい。
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