震災後、日本人が失くした「何か」を求めて
監督:井上 剛
脚本:大江崇允
原作:村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫刊)より
配給・ビターズ・エンド
公開:10月3日(金)より、テアトル新宿、シネスイッチ銀座ほかにて全国ロードショー
公式サイト:https://www.bitters.co.jp/ATQ/
【ストーリー】
1995年1月、テレビから震災を報道するニュース映像が流れていた。三日三晩テレビの前にくぎ付けだった妻(橋本あや)は、突然家を出る。離婚をつきつけられた男(岡田将生)は混乱する。しかし職場に行くと、妻は死んだことになっていた。長期に休みたいと申し出ると、同僚に「この箱を北海道に持って行ってほしい」と頼まれる。男は言われるがまま、北海道へ。待っていたのは同僚の妹とその友人を名乗る女性だった。
【みどころ】
村上春樹の短編小説集「神の子どもたちはみな踊る」に収録されている6編のうち、
「UFOが釧路に降りる」
「アイロンのある風景」
「神の子どもたちはみな踊る」
「かえるくん、東京を救う」の4編を
オムニバス風につなぎ、映画化したものである。
この短編集はこれまでも舞台や朗読劇など、様々な展開をしてきた。が、普通では起きないことが起きた時、それを「普通」に受け入れる場面の連続ということもあり、抽象的な空間をイマジネーションで補う舞台化はともかく、映像というリアルさが前面に出る実写化は困難と予想できた。
とりわけ「かえるくん、東京を救う」は、「かえるくん」をどう実写化するかが大きな課題だが、さらに全く関連性のない4編をつなぎ合わせるのだから、難易度は高い。
主人公も、時代も、場所も異なる4つの物語をどうやって1つにまとめるのか。
今回は、「かえるくん」「かえるくん」として、文章に素直に「かえるくん」を登場させたことで、かえって寓話性が担保された形だ。
寓話性。
考えてみると、「かえるくん~」の話だけでなく、すべてが「寓話」である。
なぜ男は北海道に行くのか。その箱の中身は何なのか。
なぜ女はくたびれた中年男の日常に関心を抱くのか。
なぜ少年の母は「神」に没入するのか。
少年は、神を捨てたのか、それとも得たのか。
答えはない。
すべては謎である。
だが登場人物にとっては謎でない。
時は淡々と過ぎていく。
この世は無常だ。
人々は、すべてを受け入れる。
だから、謎であって、謎でない。
無常観に支配され、ともすれば震災の記憶に引き戻され、蟻地獄の砂に埋没しそうになる精神を、
「かえるくん、東京を救う」の明るさが救ってくれる。
そうだ、私たちには、勇気がある。願う心がある。応援する力がある!
どんなことをしても、生きていく!
岡田将生、佐藤浩市、黒川想矢ほか、錚々たるメンバーが出演。
それぞれの俳優が持ち味を発揮するが、出色は堤真一。震災で家族を亡くした男の孤独が背中からにじみ出る。
彼が登場したその瞬間から、「寓話」が「現実性」を帯び、私たちは「寓話」の一員となって物語の中に没入していく。背中で演じ、言葉で演じる、その生活感の表現力は一見に値する。
1995年の阪神・淡路大震災以来、日常が「常」でないことを知ってしまった人間の喪失感・虚無感を底流に、誰かと誰かがつながって生きていく重みに迫る、真摯な鎮魂歌である。
【文/仲野マリ】
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